will VS can 意志の大切さ
英語の助動詞を覚えていますか?
will は未来形の助動詞で「~するだろうとか~するつもり」という意味であり
canは可能を表す助動詞で「~できる」という意味を持ちます。
*意味は他にまだあるけど一般的な話で進めさせて下さい。
私は、canよりもwillの方が上位にある行動なのかなと思うことがあります。
例えば、就職することができる(can)タイプの人がいて、その人が就職しよう(will)
と思うのならば就職をします(do).。
しかし、就職することができる(can)タイプの人がいて、その人が就職しようと思わない(will not) と思うのならば就職をしません(do not).。
できようができまいが、最終決定権は意志にあるのでcanよりwillが先行するのではという考えです。
あくまで自然体では can よりも will が上位にあり、意志に基づく行動が精神や肉体という点からベストである事が多いと医師も言います。
しかし学生や社会人の場合、意志では「こんなことしたくない」しかし、それをすることができるがゆえに、行わざるを得ない場面もあるのではないでしょうか?
意志とは真逆の事をやらされるあるいはやらなくてはいけないのって精神的にも肉体的にもBESTとは言えなそうです。
「世界一の医者は誰?」という問いに対して
「それは自分自身さ!」みたいなセリフがあります。
(世界一のおでんとはみたいですねw)
身体や心は正直で
眠かったら、眠いという事を知らせてくれます。
トイレに行きたかったらトイレに行きたいことを知らせてくれます。
病原菌が増殖し始めると熱を出して、抵抗しようとします。
(熱がでると早く風邪を治す為に、薬=熱を下げる ことをせずに治癒力に期待して治すという考えの人もいます。薬を使うと、本来熱を出して菌を減らすという事が抑制されて治りが遅くなるからです。)
嫌な人や嫌なことは、嫌悪感を抱きます。
つまり、良く自分の身体と精神に向き合う事を検討したらどうだろうかということです。
私の人生の経験の中でもwillに沿った行動とwillに背いた行動では後者の方が嫌な気持ちになる事が多く、
嫌な事も我慢することも大切だし、苦手を克服することが大事というのは理解できますが、
willに沿った行動の方がwillに背いた行動よりも得るものは大きいのではないかというのも思います。
例えば、勉強について考えます。嫌々やることよりも自分で興味を持ったことの方がはるかに短い時間でしかも長い期間の間覚えていることができます。
私の考えとしては、「嫌だーやりたくない。強制されたくないから」考えから、「ちょっとやってみっか」さらには「実に面白い」(福山ボイス)みたいに嫌々やることを継続するよりもそのもの見方を変えて視点をポジティブなものに変化させていくほうが結果として身体にも精神にも良いのではないかと思います。
結論
WILLを尊重せよ!
尊重するために何を変えるべきかを考えよ!